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2012年12月11日 (火曜日)

新刊「ざ・りべんじ」

「ざ・りべんじ」祥伝社文庫(695円+税)

これは、平成15年に「ざ・れいぷ」として発刊したものを大幅に改稿・改題したものです。

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 あとがきをここにコピペ致します。


 この作品は、平成十五年に発表された『ざ・れいぷ』を大幅に改訂したものです。

 『ざ・だぶる』から始まる「大介/竜二」シリーズの第三作として書かれましたが、この度、大幅な改稿・改題の上で新装刊の運びとなりました。

 前稿では書き切れなかった部分もパワーアップして、いっそう良い作品に出来たのではないかと密かに自負しております。

 ところで、この作品では、ひとつの事件について「加害者側からも」描いているのですが、そうすることが必要であると強く感じていたにもかかわらず、なぜ必要なのかをきちんと認識して説明することが出来ませんでした。

 しかし最近になって、たまたまある文章を読む機会がありました。多くの人たちが言葉を失うようなひどい事件が起きてしまったあと、人と社会は、その事態にどう対処すれば良いのか、ということについて書かれたものです。「犯人さがし」以外にも、ただひたすら「物語る」という方法が、日本古来の伝統芸能に長く存在してきたことを知りました。

 

『能楽には、加害者・被害者の両方から物語っていく手法があります。ちょうどこの辺りの芦屋が舞台となった「鵺」という演目があるのですが、怪物を弓で射殺した源頼政と、射殺された怪物の両方をシテが前後で演じ分ける。一つの忌わしい事件を対立する二つの立場からそれぞれ主観的に語らせるのです。それによって事件は立体的に再構成され、そのときはじめて怨みを残して死んだ鵺の霊は鎮められる。起きてしまったことはもう取り返しが付きません。でも、物語を語ることを通じて、失敗事例を学び、死者を弔うことができる』(ブログ『内田樹の研究室』二〇一二年一〇月五日付エントリーより)

 これを読んで、前稿に足りなかったものが、何だったのかが判ったような気がしました。

 最後に、改訂版を世に送り出すに当たってご尽力を戴きました祥伝社文庫編集部の関係各位にお礼を申し上げます。

 是非、お読みください。

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