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2013年1月17日 (木曜日)

まだまだ試運転

 6時に目が覚めた。ずっと20時間くらい寝続けてきたんだから仕方がないかと思ったが、ベッドの中で7時までゴロゴロ。iPhoneでニュースを見たり。

 wowowオンデマンドで映画も観られる。「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」をちょっと見たが、この作品はiPhoneの小さな画面で見てはいけないと思って止めた。

 順調に回復中だが、まだふらつくし、咳も出る。しかしちょっと前までの咳は、身体の芯から出るようなものでシンドイものだったが、今は普通の「こんこん」という軽い咳になった。

 朝、相方と電話で打ち合わせ。その際に、かなりしつこくインフルエンザの予防接種を勧めて、嫌がられてしまった。まあ、おれは予防接種を受けなかったことを凄く後悔している。後悔って常にこういう形でやって来るものなんだけど。

 なんだかんだで10時近くになってしまった。

 洗濯物を干しに行く。屋上にはまだ雪が残っているが、今日の風は温かいぞ。

 ブランチは、パンケーキを焼く。パンケーキ・ミックスの1袋分全部を「カタ」に流し込んで一気に焼くと、店で食べるような分厚いモノになる。しかし「カタ」から巧く外れずにガタガタになってしまった。しかし食感は良好。

 IKEAの泡立て器を使って、ホイップクリームを作ってみるが、期待したように泡立たない。泡立つ寸前まではいくので、そこからは人力でやる。まあ、「泡立つ寸前」までが大変なので、この泡立て器も役立っているとは言える。

 仕事をしようと思うが、濡れ場を書く元気がない。そこを飛ばして次を書けばいいのだが、調子の加減の関係で、順に書くべきところ。

 まあ、今日は全体の流れを頭の中で整理して、静養にあてることにする。焦って書いて後から直すのも大変だ。

 夕方、買い物に出ようとして、急に気が萎えて中止。冷蔵庫にあるモノで夕食を済ますことにする。

 引越祝いで頂戴した、カタログで商品を選べるナニで、たいめいけんのシチューを選んだのが去年の暮れ。ずっと引越祝いを頂戴したことを忘れていて、カタログ本が何処かに紛れていたのだ。

 で、年明け早々に冷凍のビーフシチューが届いて、冷凍していた。それを食おう。

 が、1パックが異様に少ない。店で食う「ビーフシチュー」のイメージの半分以下。サラダを食ったりして補おう。

 ということで、近所の八百屋に出かけて、トマトやブロッコリを買い、ゆで卵を添えて温野菜サラダ風にして、食う。

 たいめいけんのビーフシチューは美味いけど……これに各自ジャガイモとかインゲンを足せば?ということか。

 今日は、阪神淡路大震災の日。あの時も、朝起きてテレビを観て仰天した。テレビでは阪神高速の高架が倒れたりビルが倒れたり大火災が起きているのが映し出されているのに、各自治体から被害報告が上がってこないから「被害は発生していない」というお役所的解釈をする当時の国土庁の役人頭のクソ加減を知って呆れ果てた。あとから「報告出来ないほどの被害があったと考えが及ばなかった」とか釈明していたが、人間というのものはここまで機械的になれるものかと二重に呆れた。受験秀才のなれの果てか役所での訓練でそうなったのか。

 あの当時のクソ役人どもはまだ霞ヶ関で棲息してるんだろうなあ。ああいう連中はそういう頭しか持ってないんだから、失敗から学んでの進化なんかしないぞ。違うパターンでまた想像力のカケラも作動出来ずに似たようなクソ対応をしているはずだ。

 で……当時の映像が流れると、東日本大震災とはまた違う甚大な被害が出て、その傷はまだ癒えていないわけで……涙が出る。

 こんなに天変地異が起きる日本に、原発は絶対に合わない。しかし、想像力が欠如した連中は、それが理解できない。で、反原発を口にするおれたちを「放射脳」とか言う。どっちが低脳か、火を見るより明らかだ。

 「クロースアップ現代」で、木下恵介を取り上げた。

 いかにも松竹育ちで、松竹の伝統を昇華した木下恵介。たしかに名作が並ぶ。「他者の苦境への共感」が木下映画の特徴だ、と。それを象徴するのが「愚痴」。主人公は盛大に愚痴をこぼして、周囲の者はそれを聞いてやる。

「今は、他人の愚痴を真剣に聞いてあげる感じがないものねえ」

と番組に登場した誰かが言っていたが。

 木下映画は日本人特有のウェットな感情に訴えるもので、ガイジンには理解されにくいと思っていたら「ドライなニューヨーカーのアタシが泣いた」とアメリカのオバサンが泣いていた。

 木下恵介と対比されるのは、一般的には黒澤明だ。女性的な木下に対して男性的な作風だし、内容も男性的。

 しかし……その内面は、黒澤だってかなりウェットで、日本的人情に満ちあふれている。

 その意味で、木下恵介と対照的なのは、市川崑だ。

 市川映画は、ひじょうに乾いている。ドライだ。これは和田夏十の脚本の力が大きいが、「ねえ、判るでしょ」というウェットな共感を廃して、映像の力だけで表現仕切ってやろうというのが市川崑の凄いところだった。そのためには、撮影・照明・編集、そしてもちろん音楽や役者の演技も駆使する。

 木下恵介や黒澤明の映画が土くさくて、土着的な感じが濃厚なのに対して、市川崑の映画がモダンで生活臭があまりないのは、意図してそれを廃したからだと思っている。個人的な体質もあるだろうが。

 というか、アニメーター出身というのが、決定的なのかもしれない。

 浜松に木下恵介の記念館があるとか。黒澤記念館は息子の不始末で頓挫したまま。ここは是非、市川崑記念館を作って戴きたいところだが……。生まれ故郷の三重に作るなら、通いますよ、私は。でもあの、渋谷・松濤の瀟洒な、作風をそのまま表現したようなモダンで素敵なお宅が、そのまま記念館になったら、どんなにか素晴らしいだろうとは思うが。ま、これは部外者の無責任で勝手な妄想です。

 人質事件は情報が錯綜して、何がなんだか判らない状態。とにかく日本人だけではなく、人質となった関係者全員の安全を願う。

 この事件を起こした連中は、主義主張は完全なタテマエで、実際は「誘拐ビジネス」で儲ける山賊みたいな連中だ。カダフィが知恵をつけ、アフガンなどで腕を磨いて故郷に戻ってこういう事をやっている。

 なんとかこういう最悪な連中を根絶やしに出来ないものか。

 その一方で、おれは強硬な死刑存続主義者だったが、信じるところを変えた。

 死刑反対論者に転向した。

 理由は一つ。誤審・冤罪で無実な人を死刑にしてしまう可能性があるから。その上、無実の人が死刑執行までの長い期間、毎日死刑執行に怯えながら完全に隔離されて拘禁反応を示して精神状態を崩していく。こんな事は許されない。国家的犯罪だ。

 かと言って、再審請求を出そうとしていたのにそれを阻むように短期間で死刑にしてしまったケースもある。「飯塚事件」だ。

 終身刑はコストがかかるという声もあるし、極悪人を国が飼ってやる必要はないという声もある。以前はおれもそう思っていたので、反論するのは難しいが、それは、必要なコストなんじゃないかと思うようになった。金がかかるから悪いヤツはみんな殺してしまえ、と言うのは、乱暴すぎる。

 風呂に入り、くーたんと遊んで、22時からの「NHKスペシャル」を見る。

 東南海地震だが、おれの親は昭和19年の南海道地震を経験している。その時の事は何度か話に聞いたのだが、津波の事は全然出て来なかった。まあ、東日本大震災のあの大津波があったから、最大級の試算をして話を進めているのだろうが……最大級の地震が来たら、早い話、現状で日本オワタ的な大惨事になるんじゃないか?西日本に多い原発だってどんな被害をもたらすか。

 地震は、すこしだけ様相が違うだけで建物の被害は少ないのに大津波が発生したりその逆だったりする。人智がまったく及ばないから怖いんだけど……なんか、無力感を覚える。

 その後の「50ボイス」も見て、0時過ぎに就寝。

本日の体重:88.90キロ

本日の摂取カロリー:1665kcal

本日の消費カロリー:日常生活程度

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