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2014年2月 7日 (金曜日)

明日は大雪か〜

 8時ごろ起床。

 薄曇り。

 昨日、おでんのツユをキッチンマットに零してしまったので、洗濯したり。

 仕事にかかるが、ずーっと気が晴れない。

 その原因は、佐村河内問題。別におれは彼の親族でもないし利害関係者でもないし彼を褒め称えた音楽評論家でもないし、まったく何の関係もないのだが、なんだかすごくいや~な気分。

 それは、障害者を装っていた佐村河内氏に対するものではなくて、「騙された」と騒ぐマスコミや、一斉に批判というか叩き始めた「おれは音楽に詳しいんだぞ」と自称する連中の言動に対して、腹が立つのだ。

 今回の件に関しての厳しい批判には、クラシックの交響曲で新作(ゲンダイオンガクとは言わないにしろ)が 18万枚というウルトラスーパー異例な大ヒットを飛ばしたことに対するヤッカミもあるだろう。

 彼の作品を持ち上げていた評論家が、沈黙するのはまだいい。しかし手のひら返しで、自分のそれまでの言説を帳消しにして「騙された被害者」として叩きに廻る連中の滑稽さというか見苦しさというか醜さというか……。作られた「物語」に乗せられて音楽そのものを評価できなかった自分の耳のダメさはどうなるんだ?

 一般大衆が彼の「物語」に騙されてしまうというのはまあ、仕方がないこと。こういう「作者のバックボーン」に反応してしまうのは日本人だけの特性ではないはず。人間なら程度の差こそあれ、あると思う。しかしそれを専門家である「評論家」がやっちゃ、イカンでしょ。

 オレはというと、再三書いているけれど、NHKの番組で聞いて、いいと思ったし、その感想は今も変わらない。他の曲は知らない(聞いたことがない)が、交響曲第1番は、いいと思う。

 後期ロマン派を聞き込んでいたらあの曲がパチモンだとすぐ判るはずだという批判は多いけど、まあおれは、そこまで真剣に音楽を聴いていないと言うことなのかもしれない。だいたいが「ながら」だし。

 でも、後期ロマン派の大規模な編成のオーケストラ曲は一番好きなジャンルなんだよね。

 で、いろんな人がいろんな事を書いているが、評論家のご高説はナルホドとは思えるがあんまり心は動かない。今となっては、なんとでも言えるし。

 一番胸に響いたのは、作曲家の吉松隆氏のブログ。これこれ(←リンク)。吉松氏も今のゲンダイオンガクの潮流に異を唱えて、あえて調性音楽を書いているのであれこれ批判される立場にいる。そんな吉松氏は、同業者として佐村河内氏を評価して、同志のような気持ちを抱いてライバルである佐村河内氏を日本コロムビアの人に紹介もしたわけで……。

 「あれは自己弁護だ」と批判するヤツもいるが、自己弁護おおいに結構。手のひら返しで180度違ったことを言い出すペテン師(その詐欺師ぶりは佐村河内師と同じだ)よりずっといいし、自分の考えは考えとして変わっていない事を主張するのに、なんの問題があるのか。

 いろいろネットで読んでいると、ナルホドと思える事も書いてあった。自分のためのメモとして、幾つかコピペしておく。

『(調性音楽を今書くと袋だたきに遭うのか?と言う書き込みに対して)調性をやることには誰も反対しないが、それは19世紀までの技法ということは揺るがない。それを敢えて21世紀の今やる理由を、明確に説明できないような、説得力ない作品はダメだね。

シルヴェストロフやグバイドゥーリナ、ノルドグレンは、調性を取り入れてるが、20世紀のあいだに確立された新しい音響的技法で敢えて調性音楽をやっているから、却って新鮮、という事態も起こる。現代音楽としての調性音楽をやってるわけだ。

1980年以降のペンデレツキ、イギリスのタヴナー、ラター、日本の吉松らは、現代音楽としての調性音楽じゃない。ただの回顧趣味、情弱一本釣り、スイーツ()入れ食い状態だ』

『(ブラームスは当時としても古くさい音楽を書いてたんじゃないのか?という書き込みに対して)ブラームスの場合、形式に対する懐古趣味だろ?バッハもそうだ、あの時代、敢えて対位法に固執した。音響自体は、オーケストレーションとして、どちらもそれなりに当時モダンだったと思う。

その例で言うなら、ブラームスがベートーヴェンのいかにも古典的な作風のコピーのような曲を書いたか?どう考えてもロマン派半ばの作風だろ。

バッハがルネサンス風の、教会旋法オンリーの曲を書いたか?半音階を駆使した、ある意味調性音楽の限界に挑戦した、音響として新しい作品だったろ。

それに今は、全然時代が違うしね。ヘーゲル的なドイツ精神万歳!!!!という、芸術至上的な時代じゃない。そういう作品は、もう既に19世紀に十分作られてる(実際、19世紀までの作品さえあればいい、というクラヲタがほとんど)。

だから現代作品のアイデンティティーは、19世紀にやられなかったこと、アカデミックな研究発表へとパラダイムシフトしたんだよ。さっきも言ったが、なぜこの作品を今書いたのか、という明確な理由を説明できなければだめだ。』

 「新作」は常に、過去の作品があるのにどうして今、これを書かなければならなかったのかという意味・意味づけが必要なのである、と言うことは、音楽も小説も映画も、すべての創作物に共通な事だろう。そう思うから、この問答を興味深く読んだのだが……。

 新作を書くのは、「自分が書きたいから書く」のが第一に来るはず。「歴史的にこの新作がどんな意味を持つか」なんて、あとから考えること。書きたい!と思う衝動が第一。

 しかしまあ、商業作品の場合は「お客様のニーズに応える」という部分がとても大きい。「純」がつく高尚な芸術の場合、そういうものは邪魔なものなのだろうけど。

 現代音楽というか、「純音楽」の新作って、観客の存在ということはもはや想定していないのね。もしくは、一般大衆は観客じゃないのね。お金を払って聞きに来る観客は、音楽大学の先生とか学生か研究家。つまり自家消費の世界。

 コンサートに行くと、おれたちみたいな純粋な「音楽を消費する客」よりも「音大の学生ばっかり」という時がある。つまり、お師匠さんか同じ流派のお弟子さんの発表会同然になっている時がある。

 こういうのはツラいね。自家消費。町内の商店街が、お互いお客になっているだけ、という感じ。これは縮小再生産に他ならないわけで、衰退に向かうわけだ。

『現代作品のアイデンティティーは、19世紀にやられなかったこと、アカデミックな研究発表へとパラダイムシフトした』

 と言われちゃうと、もはや、現代音楽って、本来の音楽じゃなくて、別のものなんだなあ、と思う。一般大衆を楽しませるものではないわけだ。そういう本来の音楽の役割はポピュラー音楽が果たしているわけで、「純音楽」は研究室のものに成りはててしまったのね。あえて、「成りはててしまった」と書く。

 現代音楽も、聞いていると面白いモノはある。繰り返し聴きたくなるものもある。鼻歌で歌えないし親しむものではないが、好きになる曲もある。

 だけど、上記のように言われちゃうとね……。

 一般大衆は19世紀までのものを好んでるのに、「研究室の掟」で、そういうものを書いてはいけないし、書くと、「 現代音楽としての調性音楽じゃない。ただの回顧趣味、情弱一本釣り、スイーツ()入れ食い状態だ」と言われてしまう……。

 吉松さんの作品は「きらクラ!」でよくかかるので好きなのだが、こんな言われ方をされるんじゃ……。

 現代音楽って、誰のために書かれているんでしょうね?

 答えは出ているか。研究発表に立ち会って自分を評価する先生のためか。

 ま、おれには「純」とつくものは無関係。

 純喫茶だって、今は風前の灯火状態だよなあ。「純」に関っている人って……(以下自粛)。

 自分にはまったく縁が無いものだから、関係ないと言うことで遮断してしまうのが利口なんだろう。

 だけど、聞いて「いいじゃん」と思ったものがボロクソに言われるのはやっぱり、心穏やかではないんだよなあ。

 こんな事をずーっと考えていると、どうにも気がドヨ~ンとしてしまって、ダメ。

 朝はトースト2枚にスクランブル・エッグ、ハムにマヨネーズ。

 昼は、明日の食料を買い出しに言ったついでに、博多ラーメン。替え玉一つ。

 夕方、アーモンドチョコレートを1箱一気食いしてしまったので、おでんとご飯半膳で我慢。それでも一日のカロリーは大幅にオーバーしてしまった。

 仕事は、多少進んだが、予定は大幅に遅れている。まあこういう時もある、と思える限界に近づいているが。

 純文学の対極にある俗悪な商業小説だって、書くのは苦労する。新垣さんだって、佐村河内氏の発注を受けて作品を書いた時だって、「片手間にテキトーにやった」わけではあるまい。そんな態度では他人様に供してお代を戴く商品は作れない。そのへん、判ってないバカが多いのもムカつく理由なんだと思う。

 ものを作ってことは、それがどんなものでも、スイスイスーダラダッタと出来るもんじゃないのに。

 ずっとMacの前に張りついていたが、あまり進まないまま、睡魔だけは高まって……。

 風呂に入る。

 出てきて「私が嫌いな探偵」の最後だけ見る。今回も、犯人が涙ながらに語り出す「見せ場」で、「おれ、そういうのいいですから」とスタスタと去って行く主人公が面白い!こういうの、いいなあ!

 「タモリ倶楽部」は録画して、0時過ぎに就寝。

 明日は雪か……。

今朝の体重:89.85キロ(どうして増えるの!?)

本日の摂取カロリー:2598kcal

本日の消費カロリー:日常生活+129kcal/3474歩

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