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2015年6月23日 (火曜日)

6月23日/「めまい」とゲラ

 7時過ぎ起床。

 曇り。

 朝のモロモロを済ませる。

 が、今日はココログのメンテナンス。15時までブログ機能は停止するらしい。

 なんか、ガックリ。

 朝、日記を書いてそれを公開することで、生存証明をしているような気分になるので、それが出来ないと、物凄く不安になってしまうのだ。

 仕事を始める。

 が……どうも「めまい」が気になる。
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 この作品は、見終わったあと、あれこれ考えていると感銘が深まってじわじわと感動が広がる典型だと思う。

 作品自体の描写は、驚くほど簡潔(物凄くテクニックを投入して作り込んであるので表現が凝縮しているのだが)で、今の映画のように饒舌ではなく、むしろ、素っ気ないほど。特にラストなんか、昨日書いたように今の感覚だったら数カット足して「親切な表現」にするだろう。しかし、ヒチコックはそうしなかった。

 だから……作品を思い出しながらバーナード・ハーマンの音楽を聴いていると、堪らなく切なくなって、感動に全身が襲われて、落涙する。

 これは実に不思議な映画だ。キューブリックの「2001年宇宙の旅」もすべてを描かなかったから神話的映画になったように、「めまい」もいろんな解釈を残した分、神話的な映画になったのだろう。これはおそらく、ヒチコック自身の意図を越えてしまったのだと思う。公開時、興行成績は良くなかった。あまりにヒチコックの私的な部分が出てしまったし、フェチズムや屍姦趣味のような、当時の良識からは否定されるべき極めて個人的で極端なものが表出してしまったのだから……。

 ヒチコックがトリュフォと対談した「映画述」を読み返すと、ヒチコックのこの作品への思いが溢れているし、「この作品は真相が判るスリラーではなく、主人公のスコティとジュディの心理的サスペンスなのだ」という言葉には、なるほどと思う。だからこその途中でのネタばらしとラストの余りにあっけない終わり方があるのだろう。すべて判ってしまったら、「ニセモノ」として生きていくしかないジュディは、それに絶望してすべてを終わらせたかった……その最期を写すのは、余りに忍びない……。

 深い。

 しかしハリウッドのヒットメーカーとしては、大ヒットしなかった映画には素っ気ない。だから、「めまい」の次は大ヒット間違い無しの大冒険映画「北北西に進路を取れ」をぶちかまして大ヒットを取って面目を施した。

 だがしかし、作り手の個人的なあれこれが不意に露見してしまった作品は、極めて魅力的で、魔力がある。それ故に、公開してからゆっくりと、しかし年々評価は高まって、今、この作品は正しい評価を受けていると思う。

 見終わって、目を閉じたときから、この作品への自己体験が始まるのだ。

 で……。

 この作品に投入されたヒチコックの超高度な演出テクニックの一部を解き明かす映像(←リンク)を見つけた。

 ここでは、スコティがマデリン(変装したジュディ)に初めて出会う場面の「一目で惹かれてしまった」感情をヒチコックはどう映像表現したか、それを解きほぐしている。

 マデリンが席を立ってカメラに近づき、スコティの近くを歩き去る。この時背景の照明を微妙に落としてマデリンが際立つようにしている。

 このサイトでは説明されていないが、カットが変わったところでレンズを長玉(望遠系……不勉強で何ミリかまでは判らない)に変えて、背景をボカしている。もしくは同じレンズだが、絞りを開けて被写体深度を利用して背景をボカしている。トーンを整えるならレンズを変える方が確実だから、やっぱり望遠系に変えたのだろう。

 「めまい」といえば、あのズームアップとトラックバックを組み合わせた遠近感が変わる「めまい効果」が有名だが、それ以外にも、ヒチコックは惜しげも無く映像テクニックをふんだんに使って、「一見簡素」だが、実は観客の心理に深く残る演出を施している。「サイコ」だって、老母のミイラに数コマ、白骨をWらせて(今でいうサブリミナル効果)、初めて見たとき、物凄くゾッとして無性に怖くなった。ああいう手を存分に使っているのだ。

 それが判ると、いっそう、この作品の偉大さが判る。

 じっくり見れば、他にもあるだろう。

 有名なのは、マデリンに完全に変身したジュディがバスルームから現れたときの、夢のような霧に包まれたような、この世のものとも思えないようなショット。あれを作るために、ジュディの住んでいるホテルの窓際に緑色のネオンサインを取り付けたりして、周到な準備をしている。
 この後の抱擁シーンで、カメラは二人のまわりをぐるぐる回るが、その間に背景がホテルの部屋から教会の中に変わっている。これはたぶん、セットを入れ替えるのは大変だから、スクリーンプロセスを使ったのだろう。二人は立ったままでカメラは廻らず、スクリーンプロセスの背景だけがぐるぐる回転するのだ。で、回転の途中でセットがすり替わる。あれ?背景が変わるよな、と思ったけどハッキリと判らなかったが、「めまい」に関するウンチクを書いているサイトを漁ると、背景が変わっているという書き込みを見つけて、やっぱりそうかと確信した。

 ああ、ヒチコック!

 思えば、我が師匠・市川崑も、細かい映像テクニックを駆使していた。それは望遠レンズを使ってセットの端から女優のアップを狙うとか、セットに紗を垂らして遠近感を強調するとか、1ショットの中で現在から回想にするっと入れ替わってしまう(背景が入れ替わるのだ!)魔法のようなことをしたりした。それは、特撮のような「よく判る」ものではなく、むしろ、一見すると判らないけど深層心理に作用するような映像テクニックをふんだんに使っていた。

 ヒチコックは美術係として映画界に入った。

 市川崑はアニメーターとして映画界に入った。

 どちらも最初は美術系スタッフだった、というのが興味深い。

 元は画家だった黒澤明も画面には凝ったが、助監督として映画界に入った黒澤は、ここまで人工的なテクニックを奉仕させてはいない。その代わり、ひたすら役者を追い込んでいった。それは小津も溝口も同じ。

 市川崑は、あんまり役者を追い込まない。一度だけナレーションで役者を追い込みに追い込んで、スタジオの中でその役者は混乱して泣き崩れてしまったのをおれは目撃したが。

 美術出身の監督は、映像に凝る。映像に凝って映画に奉仕させる。

 すべてがそうだとは言えない。たった2例で断言はできない。まあ、美術系スタッフから監督になった人が少ないから、法則も立てられないか。あ、あの有名なデザイナーのソール・バスも、極めてビジュアルに凝った映画を監督していたなあ。でも、ヒチコックも市川崑も「ビジュアルに凝る」というよりも、演出の必然としてテクニックを駆使したんだからなあ。

 脚本家出身の監督(たとえば、ビリ-・ワイルダー)が、演出はオーソドックスなのと好対照ではある。

 

 そして……やっぱり、バーナード・ハーマンの音楽が素晴らしい。甘美で耽美的で、後期ロマン派剥き出しの、「トリスタンとイゾルデ」をもっと甘くしたような、蕩けるような音楽!

 自作自演盤も優れているが、ロスフィルをサロネンが振った録音がなかなか素晴らしい。

 この「めまい」の音楽は、モチーフを生かして歌を書き足してオペラにして欲しいと以前から思っているが、今回見直して、その気持ちは強くなった。ほんと、誰か補作して(というか補作の範疇は超えているか。B.ハーマンの音楽に基づく、というクレジットを入れたオリジナルになるか)オペラにしてくれないかなあ。筋立てだってオペラに向いてると思うし。

 大編成オケの音楽を聴きながら、あれこれ考えてしまった。

 

 アサメシは、ご飯、磯海苔、目玉焼きにインスタントのしじみ汁。

 どうも「めまい」に入れ込みすぎて、影響されてしまいそうなので、「第4章」は後回しにして、角川新作のゲラを見る。

 が、昼前にココログのメンテが完了。早速この日記をアップロードする。

 今日は夕方から雨になるというので、昼間のウチに買い物に出る。

 北千住の商店街にある「柏屋」で、冷やし炙り焼き豚そばを食べる。夏になると、これと冷やし胡麻ダレそばを食べるのが恒例。

 美味い。しかし……ちょっと量が多かった。ん?このおれにしてからが、「量が多い」?大丈夫かおれ。量が多いなんて。病気じゃないだろうな?

 トポスで、くーたん用のカニカマを買い、自分用の食料品をアレコレ買って、帰宅。帰り道、雨がポツポツ降ってきたが、本降りにはならず。

 帰宅して、ゲラ再開。

 半分までやって、「第4章」に戻るつもりだったが……気がつくと半分を過ぎていた。じゃあ今日はゲラだけをやろうか。

 が、モーレツに眠くなって、しばし休憩。

 録画した「ヨルタモリ」を見る。「始点終点」のナレーションがやたらに感動的。これ、この手の番組のパロディのはずだが、パロディの域を超えて、独自の世界を持っている。小湊鐵道といすみ鉄道の終点・上総中野を舞台にした人生論。いやもう、マジで感動した。

 それと、「サラメシ」も。しかし途中で寝てしまった。

 このまま爆睡したかったが、そうもいかん。

 仕事に戻る。と、快楽亭から電話。「引越祝い」の店が決まった。京橋のフィルムセンター近くにいい店を見つけたと言っていたから、その方面かと思ったら……浅草だった。

 仕事を続ける。

 昼に食った「冷やし炙り焼き豚そば」がまだお腹に残っていて、食欲なし。

 ゲラ、4/5まで来た。しかし頭がぼーっとしてきて、本日終了のサインが点滅。

 相方と電話で話したが、マクドナルドで仕事をしているというので、雨が接近しているから早く帰れと警告を出す。

 晩メシは、お茶漬け。本来は冷凍炒飯を温めて、チョギレ・サラダとともに、と思っていたのだが、キュウリの漬け物でお茶漬け。「踊るさんま御殿」を見ながら食う。

 で……雨が降ってきたと思ったら、雷も光って、かなりの豪雨になった。相方は間に合ったろうか? 

 TBSの「ぶっこみジャパニーズ4★大好評第4弾★爆笑世界のニセジャパンをドッキリ退治」を一部分見る。ポルトガルのニセ寿司屋(寿司とは名ばかりの酷いものを出す)に寿司職人が乗り込んで「本物の寿司」を見せつける。

 次に、アメリカの「ニセ相撲力士」を元・維新力がやっつける。

 ポルトガルの方は納得の内容だったが、スモウ・レスラーの方は「?」だった。彼らは趣味でやってるんじゃないの?あんなことでプロなの?誰が見るの?

 維新力も、乗り込んだくせに、一人だけを肩すかしみたいな技で倒しただけで終了?あそこにいた全員をバッタバッタと倒さなければいけないんじゃないの?あれじゃあ観客は不満だろ?

 ま、予定調和なこんな番組を本気で見る方が悪いのか?しかし、どうせなら、もっとキッチリ作ってよ。

 風呂に入り、雨も上がったので、ゴミ出しをして、仕事に戻る。

 あと少しだったので、最後までやってしまう。

 明日の朝、付箋を貼った箇所を見直して、一応完了。相方に渡して、相方から戻ってきたら最終的にもう一度見ることにしよう。

 ミクシィのニュースに「元少年Aの本について、彼に殺された女児の母親がコメントを出した」事が報じられていたが、これにあるバカが「クソ遺族死ねよ」とか書いていたのに激怒。このバカの発言にコメントしても良かったのだが、そうすると妙なバトルになるのも嫌だったので、この件に限り「全体に表示」にして自分の発言として書くと、物凄く参照数が増えてコメントも付いた。

 これは正直、意外だった。ほぼおれの書き込みに賛同するものなので、ホッともしたが。

 というわけで、1時過ぎ就寝。

今朝の体重:87.50キロ

本日の摂取カロリー:1731kcal

本日の消費カロリー:日常生活+33kcal/787歩+39kcal(自転車)

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