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2015年7月 4日 (土曜日)

7月4日/「ハンナ・アーレント」を観て、知性の重さとその力を、知る

 7時過ぎ起床。

 雨。

 数日間の籠城の備えは出来ている……はず。

 朝のモロモロを済ませて、アサメシ。例によってトースト、コーンフレーク、ゆで卵、ハム&マヨネーズ。アサメシだけは、どうして毎日同じモノを食べても飽きないのだろう?飽きないとはいっても和食にしたり、ゆで卵をベーコンエッグやスクランブル・エッグにしたりするけどさ。

 仕事開始。

 というか、昨夜届いた週刊新潮「黒い報告書」のゲラをやる。PDFで来ているので、PDFに直接書き込めれば一番いいんだけど。iPadを使えば出来るが、きちんとやるにはそれなりの出費をする必要がある。縮小されたゲラに書き込むのはなかなかシンドイので、この出費を検討するかな?

 プリントアウトにアカを入れる作業を根を詰めてやり、それをスキャンしてPDFにし直して、約束通りにお昼前に返送。

 昼は、本当に久しぶりに、袋麺の「日清焼そば」を作る。カップ焼きそばの方が圧倒的に簡単なのだが、「日清焼そば」ならキャベツをふんだんに投入できる。いや……だったら中華麺を買ってきて普通にヤキソバを作ればいいんだけど……。このインスタントのヤキソバの麺が好きなのよね。

 その後、徳間新作の「第4章」、読み返して書き足して、ブロック的にまとまったぶんを相方に送る。

 しかし送ってから、書き漏らしたことが出てきたので、それを再度書き足して、送り直す。

 そして、「第4章」のその後の構成を立て直す。そろそろ散らばった伏線を回収する手立てを講じなければならないし、まだまだ伏線も張らなければ。

 夕方、少し休憩。ソファに寝転がると、そのまま寝てしまった。

 18時30分からのテレビ東京「土曜スペシャル知られざる国道(酷道)の旅4」を観る。整備されていない分断区間は、林道以下の険しい山道、もしくは道なき道を進まなければならない。

 「タモリ倶楽部」で国道と言いながら車では走れない階段があったり狭い商店街だったりという笑えるモノは紹介されたが、この番組は、「分断区間」の走破という、もっと厳しい課題をクリアさせる。

 これは取材する方も大変だ。

 観ていると、20時前に相方到着。

 角川のゲラを受けとって、弁当を注文。おれは焼肉弁当、相方はサーモンとアジの丼。

 ほどなく弁当が到着したので、食う。美味い。

 食後、少しだけ「酷道の旅」を観るが、途中で止めて、wowowの「W座」で録画した映画「アンナ・アーレント」を観る。

Pic02

 アイヒマンに「悪の凡庸さ」を見た彼女は、激しい攻撃に晒される。アイヒマンを自らユダヤ人殲滅を企てて能動的に動いた極悪で悪魔のような男、と理解するのは簡単だ。

 しかし、優れた知性の持ち主で強靱な精神の持ち主でもある彼女は、アイヒマンの「すべて命令に従った」「法に基づいて処理しただけ」という証言を言い逃れとは見なかった。

 今現在、アンナ・アーレントの見方は受け入れられて定着している。今も昔もドイツ人の気質として、法を遵守する精神が極めて高い。だから……アウシュヴィッツに行けば判るが、ここに運ばれて「処理」された人たちの克明な記録が残っている。これは役人たちがなんの感情も挟まずに、職務に忠実に、法に則り定められた手順に従って「案件を処理」したからだ。

 だからそれを逆手にとったシンドラーや杉原千畝は、しかるべき書類を作って、合法的にユダヤ人の幾分かを救うことが出来た。

 当時のドイツの法律で人間と認められなかったユダヤ人たちは、石鹸の原料にまでされてしまったのだ。あまりにドイツ的な正確で確実でシステマティックで効率的な手段によって。

 これは、極悪人が出来ることではない。正確に事務処理をするがそこに良心に基づく判断を一切挿まない大勢の役人がいたからこそ出来たことだ。

 その役人の頂点にいたのが、アイヒマンだった。そのアイヒマンも、ヒトラーから命令を受けて、着実に処理をした。

 この行為は、当然、断罪されるべきモノだ。一片の良心もなかった、という意味で。ある意味、今の言葉で言えば、『究極のマニュアル人間』だったと言えるのかもしれない。

 今となっては、まったくその通りなことを指摘したアンナ・アーレントは激しいバッシングを受ける。古くからの友人を多数失う。

 一番激烈だったのが、彼女が書いた文章のごく一部に、ナチスに協力したユダヤ人指導者がいたことを指摘した箇所があったこと。この事実は既に知られていたが、ユダヤ人にとっては、もっとも触れて欲しくない・触れてはいけないタブーだった。それを高名な学者で教授である彼女が、「ニューヨーカー」という超一流の雑誌に書いたことで、大変なことになってしまった。

 この問題は、今の日本にも当てはまる。当てはまりすぎて怖くなるくらいだ。あ、こう書くと、右翼系の暴論を吐き続ける某人物を擁護すると誤解されてしまうかもしれないが、まったくそうではない。その真逆だ。

 知性の光は、混沌として未整理な過去を照射して、ポイントを鮮やかに浮かび上がらせる事が出来る。それには大きな苦しみを伴い、抵抗が生まれても、時間がその正当性を証明してくれる。

 この作品を観て、小山薫堂は「哲学というモノがある意味が初めて判りました」と語ったが、まさにそう!「まったくその通りだ!」とおれは絶叫したくなった。

 哲学って、なに?

 一般人にとって、もっとも縁遠い学問。

 インテリの暇つぶし。屁理屈をこね回して重箱の隅を突つき、実生活になんの役に立たないもの。

 そう思っていた。そんな屁理屈なんか知らなくても、朝日は美しいし海は美しいしご飯は美味い。哲学になんの意味がある?

 しかし……。

 世の中には、理解を絶する物凄いことが起きる。人間としては、多少の知性がある人間としては、それがどうして起きてしまったのか、なんとか理解したいと思う。人間なら出来ない事をやってしまった人間の、その心を覗きたい。そういう欲求がある。

だから、「元少年A」の手記が売れ、話題になるのだろう。

 で、国歌がある民族を殲滅しようとしたユダヤ人のホロコーストは、人間が立案して実行したものとは信じたくないほどの戦慄すべき悪逆非道な、人類に対する犯罪だ。それを遂行した一人である人物を知りたい、理解したい、自分なりに分析したい。

 その時に、哲学という学問が必要なのだ。

 おれは、生まれて初めて、哲学の必要性が理解出来て、なんだか、電気に撃たれたようなショックを感じた。

 だから、人類が文明を持って以来ずっと、営々と「哲学」を論じてきたんだなあ。

 この作品は、映画としても、誠に優れている。ドイツ系ユダヤ人がとにかくシリアスに問題に突進していく中、アメリカ人の友人や「ニューヨーカー」編集部の人たちは、アメリカ人流に、それに対する。そのゆとりのあるユーモア感覚にホッとする。映画としても、ギリギリとテーマに迫るなから、彼らがコメディ・リリーフとなって息を抜かせてくれるのでホッとする。この呼吸が絶妙なのだ。ただただくそ真面目だと熊井啓になってしまうが、脚本・監督のマルガレーテ・フォン・トロッタは手練れである。上手い。

 公式サイトにある、「ディレクターズ・ノート」(←リンク)は、読むべき優れた文章だと思う。

 相方帰り、ハンナ・アーレントその人について、そしてハイデッガー(つい最近まで生きていた!大昔の人だとばかり思っていた)についても調べ、ハンナが教えていたニューヨークにある「ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ」(亡命者のための大学という別名があって、アメリカでは珍しく「大陸系哲学」を教える大学らしい)についても調べて、風呂に入って、1時就寝。

今朝の体重:88.10キロ

本日の摂取カロリー:2142kcal

本日の消費カロリー:日常生活のみ

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