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2015年10月24日 (土曜日)

天空の蜂

脚本:楠野一郎/監督:堤幸彦

錦糸町楽天地シネマにて

 アクション・パニック映画としては、もっとうまく出来ただろう、とどうしても思う。

 しかし、そういう「揚げ足取り」をして、この作品の価値を下げてはいけないと思う。この映画の欠点だけをあげつらった結果、作品自体が否定されてしまうのはあまりに惜しいからだ。

 原発(この作品では「高速増殖炉」だが)の安全性について正面から扱ったメジャー作品はこれまでなかったのだから、この作品が先鋒となって、どんどん作られるには、この作品の意義をまず高く評価しなければならない。

 福島第一原発の大事故がなければこの原作は映画化されることなく、東野圭吾の小説としては埋もれた扱いのままだっただろう。あの事故によって、やっと、原発の安全性について「安全神話」が取り払われて、キチンとした議論が出来るようになってきた……と思いたい。

 

 反原発映画、といわれてしまわないように、この作品は周到な準備がされている。高速増殖炉を研究開発する意義と価値を本木雅弘に語らせて、それはそれで説得力がある。ただし、実際の「もんじゅ」は事故続きでまともに稼働したことはほとんどないし、海外は「夢のエネルギー」である高速増殖炉の商業ベースでの開発をほぼ止めてしまった。その中で、日本だけが毎年巨額の予算を付けて事業を続けている。

 この作品は1995年現在の状況の時代感に基づいているので、高速増殖炉の研究開発は順調のように描かれている。

 そして、原子力開発関係者への「迫害」も描かれている。地方の原発で作られた電気を消費するだけの都会人への批判も出てくる。

 それらは、「絶対安全な原発などない」という強いメッセージを中和させるためのエクスキューズだったのだろう。もしくは、「この作品は中立です」というスタンスを表明したかったから、両方の言い分を併記した形にしたのか。

 まあ、一方を一方の論理で断じてしまうのは、作品にイデオロギーが付いてしまう可能性がある。しかし、原発が安全かどうか、理屈ではなく、現在、日本にある原発が本当に安全かどうかを論じるのはイデオロギーではなく、極めてリアリティのある現実の問題であって、理系的にイエスかノーかで答えられる(付帯条件が付くから簡単にイエスかノーか言えない、ということになるのだろうが)問題だ。ここに思想とかイデオロギーが絡んでくることはないはずなのだ。本来は。

 しかし、原子力というものには物凄い利害関係が絡んでいるし、政治も深く絡んでいるので、理屈ですっぱり割り切れなくなっている。

 そのへんを突つくと、本気で大変なことになるのだろう。

 しかし、今まで、誰も触れなかった「原発の安全性」に正面から向き合った、初めての作品が本作だ。5年の歳月を掛けて原作を書き上げた東野圭吾も偉いが、巨額の製作費を掛けて超大作として製作した松竹やスタッフも偉い。

 作品の意義は大変大きいモノがあるが……。

 でも、やっぱり、パニック・アクション映画(クライシス・ムービー)として鑑賞すると、「おれならこうするなあ」と思える箇所が結構あるのだ。

 まず、江口洋介のキャラクター。本来なら、技術者の枠を越えて、もっと活躍すべきだろう。まあ、アメリカ映画なら、ダメな夫・ダメな父親として登場した主人公が、危機を救う大活躍を見せて、家族の信頼と愛を勝ち得る、というパターンで描いてしまうだろう。

 この作品も、けっこうその線でやろうとしているが、「主人公はヘリの設計を担当したサラリーマン技術者」というリアルな枠からははみ出ない。ブルース・ウィリスみたいな大活躍はしないのだ。

 それはいい。アメリカ映画の派手な嘘や主人公の大活躍はあまりに派手すぎてシラケることも多々あるから……。

 しかし、江口洋介の夫婦の描き方は、下手くそ。かなり紋切り型だし、息子がヘリに乗っているという危機的な状況の時に、不満たらたらの奥さんが亭主批判をするか?するだろうけど、今言うか?と思ってしまう。この奥さんの描き方は、かなり下手くそというかリアルに考えても違うんじゃないか、と思う。奥さんを演じた石橋ケイ(「深夜食堂」で男前でハードボイルドな女探偵を好演していたのに)が、どうにも上手くない。ヒステリックで嫌な女でしかない。この役がもっと存在感あるキャラクターになっていたら、と思う。

 そして、こういう映画には「状況を混乱させてしまう」人物が必要だが、それが子供、というのには抵抗がある。子供の描き方が、これまた上手くない。説得力が足りないというか……。いろいろ指示通りやれずに状況を悪化させてしまう存在は必要なのだが、もっと上手い描き方があるだろうに……。

 17稿まで書いた脚本らしいが、夫婦とか家庭の部分は、もっと整理できたし、もっとサスペンスに寄与するように書けたのではないか?

 こういう部分、アメリカ映画は実に上手いから、ついつい、ハリウッド映画基準で考えてしまうが……。

 アメリカ映画でも「アポロ13」では男のドラマに家族が絡んでくるのが不満だったのだが。その点、「ライトスタッフ」はその按配が見事だったけれど、上映時間が長いし。

 

 ヘリから救助しようとした子供が落ちてしまう!という絶体絶命の設定は、凄い。しかし、無事救助の決定的瞬間を描かないのは、何故?雲に隠れて様子が分からない、という「もどかしさのサスペンス」を狙ったのだろうが、地上にいる人間の「もどかしさ」を描きつつ、急速降下した自衛隊員が、見事、子供を空中で捕まえる、という決定的瞬間を見せた方が絶対に盛りあがったのに!

 そうすると、ヘリのエピソードが盛りあがってしまって、肝心の高速増殖炉の問題が飛んでしまう、というバランスもあったのかもしれない。

 ただ、自動操縦されているヘリが、高速増殖炉を破壊する凶器になっている、というのがこの作品のミソなんだから、ミソはカスが残らなくなるまで活用しなければならない。

 ヘリにまつわるサスペンスは、「じゃあ高速増殖炉に落ちないように大砲で撃ち落とせばいい」という選択枝を明確に否定しておかなければ。犯人がどこから監視しているか判らない、とか。それでも偽装した高射砲か巡航ミサイルを極秘裏に準備しているとか、そういうサスペンスもアリだったのではないのか?

 まあ、サスペンス映画としては、「もしあのヘリが墜落したらどのような大惨事が起きるか」を、もっと描くべきだった。とても美味しいネタなのに。しかし、それは出来ないお約束だったのだろう。セリフで「日本の大部分が住めなくなります(待避しなければならない)」と言わせているとは言え。

 「実は原子炉建屋は言われているほど強度はない」という爆弾暴露があって、核物質が飛び散った場合の最悪の事態をもう少し強調してみせれば…… 我々は既に経験しているのだから、「それはトンデモない事になる」という恐怖を突き付けられたのに。

 でもたぶん、それは出来ない事だったのだろう。

 ……アメリカ映画の定石をなぞればいいというものでもないと思うし、製作上の制約もいろいろあったのだろうと思う。

 原作の縛りもあったろうし……。

 とは言え。

 今でこそ、原子炉って言われていたほど頑丈ではないことは周知の事実だが、20年前は、劇中でも言われていたが「原子炉建屋にジャンボが突っ込んでも大丈夫」というのが「常識」だったのだ。そんな20年前に、ここまでの事実を指摘して、あの大惨事を予言したかのような東野圭吾は、凄い。

 そんな原作に敬意を表して、原作をじっくり読んでみよう。図書館で借りるのではなく、買って読もう。

 そして、この映画も、最低もう一度は見よう。

 それが、原作者と映画の製作スタッフへの敬意だと思う。

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