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2016年8月 3日 (水曜日)

「シン・ゴジラ」(ネタバレ注意)*追記アリ

総監督・脚本・編集:庵野秀明

監督・特技監督:樋口真嗣

准監督・特技総括・B班監督:尾上克郎

109シネマ・グランベリーモールにてIMAX上映

 この巨大な作品の感想を、どこから書けばいいのだろう?

 第1作の「ゴジラ」、「モスラ」、「ラドン」以外の、怪獣が2匹(2頭?)以上出て来る怪獣映画はプロレスみたいなもの(「キングコング対ゴジラ」と平成ガメラは除く)で、特に平成ゴジラの「VSゴジラ」ものはヒドかった。しかし、大映が低予算で「平成ガメラ」シリーズを作り、ビックリした。センスがあって怪獣映画が判っている人が作れば、まだまだイケるぞ!と思った。金子修介監督は東宝ゴジラも手掛けて善戦はしたが、どうしても旧弊な勢力に負けたのか、まるで古典歌舞伎みたいに「ゴジラはこういうもの」という意味不明なお約束を押しつけられたぶん、詰まらなかった。他の作品はもう……監督を知っているので言いにくいが……まるでダメだ。珍妙な新兵器が突然登場したり、映画としても出来が悪い。これは監督だけのせいではない。くだらない脚本しか書けなかった脚本家の責任でもある。それと、怪獣オタクへの遠慮なのか何なのか、着ぐるみに拘る旧弊さ。「東宝のゴジラは着ぐるみでなければならない」と誰かが言ったか書いたかしていたと思うが、なんじゃそりゃ、だ。円谷英二が生きていたら、いつまでも古い技術を有り難がって使い続けてはいなかっただろう。

 で。

 本作は、そういう「東宝の旧弊なあれこれ」をすっぱり切り落として、フリーハンドを得たのかどうか定かではないが、庵野秀明がかなり自由に、自分の世界を構築した。

 そして、それは、極めて素晴らしく、見事であり、物凄い。

 怪獣映画でも、映画だ。まず映画として優れていなければお話にならない。しかし一部の怪獣バカは、怪獣が出てくればいいという幼児退行みたいなことを真顔で言う。こういうバカに関るから東宝怪獣映画は駄目になり続けたのだ。

 映画として駄目なものは、怪獣映画としても駄目。至極当然のことだ。

 そして。本作は、「日本に突如巨大不明静物が出現したらどうなるか」という命題をリアルに、考えられる限りリアルにシミュレートした。

 国内政治・国際政治・軍事、すべての知識を動員して、リアルな、ヒリヒリした世界が展開される。ここには、ゴジラが愛嬌を振りまく余地はまったくない。

 最初は楽観論に縋ろうとする政府高官(閣僚や官僚たち)。しかし、一人だけ現実を直視するリアリストが、政務担当内閣官房副長官の矢口(長谷川博巳)。総理補佐官の赤坂(竹野内豊)と組んで、駄目な政治家をなんとか操縦しながら難局に当たろうとする。

 この駄目政治家と駄目官僚の会議が「あるある」で、情けないけど笑える。官僚の果てしない「法律論議」(これは必要ではあるんだけどさ)に、駄目な御用学者のこんにゃく問答。

「楽観論に縋って現実を見なかった戦前の軍部と同じ轍を踏んではいけません!」

 と矢口は吠えるが、最初は独り相撲。しかし、彼の言うことが正しいとハッキリしてくる。

 巨大不明生物は、最初登場した時じゃ妙にキモカワイい顔で、「おいおいこれがゴジラかよ」と思ったら……どんどん変容していく。

 そして……ついに立ち上がって、あの咆哮!そして、あの「音楽」が!

 コントラバスの音をゆっくり再生したゴジラの咆哮と、伊福部昭の「ゴジラのテーマ」「自衛隊のテーマ」は、日本人のDNAに組み込まれている。これがないと、どうしても画竜点睛を欠くというか……締まらない。

 そういうところを、庵野さん、熟知している。ここだ、と言うタイミングで鳴り響く、不滅の伊福部サウンド!

 あたしゃ、泣いたね。泣きましたね。リアルな自衛隊がリアルに出動して果敢に攻撃するミリタリーなところとか、ツボにどんどんハマって、もう、感涙に噎んだ。

 平成ガメラは民間人が主人公だったけど、今回は政府の中枢にいる人物が主人公だから、政治や安全保障や軍事に関するワクワクするようなビッグワーズがポンポン飛び交う。

 そして遂に、アメリカから大統領特使が!

 これが石原さとみなのが少々「?」。ハーフかクオーターなんだから、石原さとみじゃないんじゃないの?ローラとかベッキーじゃアレだろうけど。

 しかし、石原さとみは、国際政治というかアメリカの冷徹な方針を伝える。とにかくゴジラは日本で駆除する、と。そのためには核兵器も使用すると。

 リアルな描写は、ゴジラに襲われる鎌倉・横浜・東京の街についても徹底している。

 ふっ飛ぶ京浜急行!

 逃げ遅れる婆さん。

 逃げ惑う群衆。

 避難するための無限のバスの列。

 どこかにやっと避難した避難民……。

 もうね、このへんは、あまりにリアルすぎて、見た直後はそうでもなかったが、時間が経つと、恐ろしくて哀しくて不安で……もう、本当に、怖い。

 本作のゴジラは空撮や仰角のショットを多用して、ゴジラの巨大さを的確に映し出しているし、逃げる人たちの頭上をゴジラの尻尾が通過するという「恐怖のショット」(これって「続・三丁目の夕日」に出てきた恐怖のショットに似てないか?いや、似ていてもいいんだけど)は、本当に迫力がある。

 ゴジラ自体も本当に怖いが、ゴジラがもたらす災害の描写が、311の大災害を想起させて、心から恐ろしい。しかも……ゴジラは放射能をまき散らしている。第1作からゴジラは放射能を撒くことになっているのに、これについてきっちり描写したのは今作が初めてではないだろうか?

 思えば、第1作では、戦争(都市への空襲)の恐怖が残っていて、「また疎開か?」という生々しいセリフがあった。

 その意味で、第1作の心をきちんと継承したのは、本作だろう。広島・長崎、そして第五福竜丸事件と、核への恐怖が生々しかった時代に作られた第1作と思いを一にした作品がやっと現れたのだ。これは、不幸なことなのだけれど……。

 首相はやっと、ゴジラに対する全面攻撃を決意するが、立川に避難しようとしたヘリがゴジラによって落とされて、主要閣僚は全員死亡。残された若手が仕切るしかなくなる。終戦直後の日本政府を彷彿とさせる展開。首相臨時代理に推されたのは、唯一生き残った「年痕序列中継ぎ穴埋め」の農水大臣(平泉成)。アメリカに押されまくって、多国籍軍がゴジラを攻撃するために日本に攻め込むことを承知せざるを得なくなる。

 多国籍軍にいいようにされてメチャクチャにされたイラクやアフガン、シリアの人たちの不条理な気持ちが少しだけ判った。シミュレーションとはいえ、多国籍軍に好き勝手される情けなさ!

 しかしここは多国籍軍を受け入れた方が、「その後」の援助も受けやすい、と国際通の赤坂の冷徹な判断。しかし、そうは言っても……。

 各省庁のはみ出し者が集められた「対策チーム」の面々が、いい。津田寛治や高橋一生、市川実日子に松尾諭とか、いい役者を集めている。彼らの不眠不休の献身的働きによって、徐々に「対ゴジラ新兵器」が出来上がっていく……。

 それは、「空飛ぶ鏡餅」みたいな珍奇な秘密兵器ではない、地に足の付いた、きちんとした新兵器。ゴジラの生態を研究した結果の唯一の方策。しかしそれは完成はしたが、必要分の製造が追いつかない。

 ゴジラへの核攻撃まであと1日。ダメ総理だと思われていた元農水相は、実は、誠実でオノレを棄てられる人物だった。(平泉さん、儲け役!)

 国際政治バランスを巧妙に利用して、フランスを抱き込む外交戦。

 そして……。

 新幹線や「E電」たちの特攻(これは……無人とはいえテッチャンとしては胸が痛む)のあと、福島第一原発の緊急非常冷却のあの光景を思い出す、ゴジラの口に向かっての一斉噴射!

 この作戦が終わるまで駐日フランス大使に頭を下げ続けた首相臨時代理(元農水相)の姿を思い出すと、フィクションなんだけど、号泣してしまう。

 こういう「ボンクラに見えていたけど危機に陥ると我を棄てる立派な政治家」と「はみ出し者ゆえに有能な官僚や研究者」、そして、「死を恐れない自衛隊員たち」によって、日本は何とか救われた……。

 つい最近経験したようなことで、それが頭の中でフィードバックして、激しい感動を呼び起こす。

 政治家や官僚のやり取り、自衛官たちのやり取りや行動のリアルさ。

 映像のリアルさ。臨場感が半端ない。

 特撮的にも、ドラマ的にも、アメリカ的な妙なヒロイズムを廃した、リアルな作品。

 こういうドラマに邪魔な、「家族の部分」がまったくなかったのが素晴らしい。日本映画でもアメリカ映画でも、「家族の代表」が出てきて映画の緊張感をぶった切ってしまったり妙に矮小化させてしまったりすることがあるのだが、今回はそれがないのが本当に素晴らしい。それに、石原さとみと主人公が恋に落ちたりとか、昔の恋人だったとかという面倒くさい要素もなかったし。

 これは、戦争映画なのだ。戦争映画に愛とか家庭とかは邪魔でしかないのだ。

 ミリオタによれば、自衛隊関係の描写はとても正確なのだそうだ。

 そういう正確さが壮大なウソを支える。

 この作品をきちんと理解するには、あと数回見なければならない。たぶん、見るたびに新しい発見があって小躍りするんだろう。

 この作品は、「ゴジラ第1作」以外のすべての怪獣映画とはクラスが違うくらい、はるかに凌駕した。もちろんアメリカ製のゴジラよりも比較にならないほど素晴らしい。

 ドラマ部分をきっちりと描き込んで嘘くさくならず、とても見応えがあった。役者の芝居にも熱が籠っていて、本当に「入魂の演技合戦」だった。

 こういうドラマは、民間人よりも、どうしたって、政府の中枢にいる人物が主人公になるべきだ。しかしきちんと描けずに嘘くさくなって映画全体が漫画みたいになってしまう場合もある。日本映画はこの辺が本当にヘタクソだったが……本作では、見事に描ききっている。

 演出部(だれが現場で監督していたのか不明なんだけど)の勝利だ。

 本当に素晴らしい。

 こんな凄い映画に巡り会えて、死ぬまでに見ることが出来て、心の底から幸せだ。

 まだまだ書き足りないが……。

 ネットでも大絶賛の嵐。貶そうと思えばいろいろあるだろうが、それよりも素晴らしいところの方が圧倒的に多いんだから。

 故岡本喜八監督が写真出演していた。ああ、岡本喜八!


(追記)

 「ゴジラ」第1作のゴジラは、恐怖の象徴だった。それは誰の目にも明らかだが、原水爆のメタファーだった。というかゴジラは放射能をまき散らす「放射能の権化」。この作品は作られた数年前には2発の原爆が日本に落ち、そして第五福竜丸事件があった。どうしたってゴジラは「核の脅威」そのものな存在なのだ。

 そして……今回の「シン・ゴジラ」。このゴジラが物凄く恐ろしいのは、第1作から64年。やっと、第1作の続篇というか、第1作を忠実に継承する作品が現れたからだ。

 2011年の東日本大震災と福島第一原発事故。福祉な第一原発から放出される放射能はまだまだ止まらないままに日本とその周辺を汚染し続けている。

 ゴジラ第1作と同じくらいの「核の脅威」を感じ、そのメタファーとしてのゴジラが、ハッキリと出現したから、今作のゴジラはたまらなく恐ろしいのだ。

 作品ではハッキリとは言っていないが、誰が見ても、福島第一原発事故の恐怖を想起させる。その基本構造とテーマ、メッセージは第1作と同じだ。

 逆に言えば、第1作からあとは、核の脅威は薄れ、第三次世界大戦の危機も遠ざかり、ゴジラが「核の恐怖」のメタファーである必然性がなくなってしまった。

 平和な時代には、ゴジラは他の怪獣とプロレスを演るしかなくなってしまったのだ。

 ゴジラを恐怖の象徴と思う時代が、幸せかどうか。

 ゴジラが詰まらない時代の方が、人間は幸せなのかもしれない……。

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コメント

まったく同感です!
もうわたしはなにも書く必要がないです。
家族の部分や、恋愛部分がないことも、激しく同感!

アメリカ人などは物足りなく思うでしょうし、アメリカでヒットしないと収益の部分で困るかもしれませんが、そんなことを考慮せずに、よくやったと思います。

あしかわさん:
有り難うございます。
アメリカ人がどう思おうが、そんなこと、どーでもいいんです。我々がこんなに感動してハマるんですから!
大ヒットなので、日本国内の配収だけでペイするんじゃないでしょうか?
というか……かなりのハイテンポで、以前の東宝怪獣映画の倍以上の情報量だと思います。
まあ、モノレールをバックに静かに話すシーンは、「どうして会議室の片隅でバックにゴジラの様子を映し出すモニターを配して情報量を増やさないんだ!」とか言われるかもしれないけれど、時には静かなシーンも必要だと思いますし。むしろ今のような形の方が超大作としての風格もありますし。
かねてより、「家庭」とか「恋愛」とか邪魔だなあ!と思っていたので、ハードな構成にしてくれて、本当に嬉しいです。戦争映画に色恋とか家族愛は邪魔なんです。

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