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2016年12月18日 (日曜日)

この世界の片隅に

脚本・監督:片渕須直

渋谷ユーロスペースにて

 ほとんど予備知識を入れず、原作も読まずに、かなり白紙の状態で見た。とは言え、被爆を扱っている事は知っていたので、なんとなく「はだしのゲン」を連想していた。まったく無垢な人たちが原爆という不条理な攻撃に遭って、かなり強い抗議と反戦の意志を、優しい絵で描くような……。

 しかし……。その予想は完全に外れた。

 主人公すずさんの平凡だけど穏やかな暮らしを、ディティール豊かに日々、丁寧に描いていくのだ。

 戦前の広島。今のように豊かではないが貧困ではなく、それなりにアメリカ文化が入ってきて、楽しい日々。

 瀬戸内の穏やかで美しい自然に囲まれて、主人公のすずも穏やかに慎ましい日々を送って「たおやか」に暮らしている。絵が上手で、絵を書くのが好き。19になってもまだ幼い少女のようなすずさん。

 そんな彼女に突然、縁談が舞い込み、呉に嫁ぐ。

 小姑(攻撃的だけど、嫌なだけの悪役ではない)との関係に悩みつつも、畑から見下ろせる呉の軍港に浮かぶ戦艦の雄姿に素朴に感動したりする。

 そんな日々を、穏やかなユーモアを交えて温かく描いていく。

 よく、戦前の暮らしは憲兵や特高警察が目を光らせていて、すぐ捕まって拷問される言論統制と恐怖政治の日々、のように思われたりするが、小林信彦の名著「ぼくたちの好きな戦争」が活写したように、戦前の東京は今よりアメリカ文化に対する憧憬が強くて、多摩川の土手でカーレースが行われたりして、結構豊かで楽しさもたくさんあった。笑いだってエノケンやロッパをはじめとしたモダンな笑いもあった。

 それは、中国戦線が膠着状態になっても、アメリカとの戦争が始まっても、しばらくの間は保たれた。しかし……。戦況が悪化するにつれてすべての物資が不足して、耐乏生活が始まる……。

 日々を懸命に、しかし、楽しく心豊かに生きているすずさんの頭上にも爆弾が降ってくるようになってしまう。

 頭上をアメリカの爆撃機が飛び、高射砲が撃ち落とそうとする。敵機の破片が降ってきて、それで命を落とす人も多かった。

 

 これまで、穏やかな日常を丁寧に描いてきたから、すずさんの生活と観客の気持ちが同化したときに訪れる、戦争の恐怖。

 空襲が始まるときに、庭先に降り立った白くて大きな鷺。「ここに居ては危ないよ」と庭から追い立てるすずさん。その鷺はゆっくりと広島の方に飛んでいく……。

 すずさんは空襲に遭い、義父さんに助けられたが……義父さんは倒れたままで……。

 実は夜勤明けで眠くて仕方がなかったんだというオチがつく。

 この緩急自在の、ユーモアが自然に同居するタッチが素晴らしい。

 普通の生活には笑いがつきものだもの。

 すずさんが呉港をスケッチしていたら憲兵に捕まって家宅捜索される場面も、すずさんにキツい小姑や義母が怒りで(憲兵に疑われるという恥辱をもたらしたすずさんに)身を震わせている、のかと思ったら、のんびり屋のすずさんに「間諜活動なんか出来っこない」から、大真面目な憲兵の言葉に笑いを堪えていた。

 こういう場面の数々があるから、そのあとの、呉大空襲や、広島の原爆投下の描写が胸に響く。

 絵を描く右手は、姪の晴美と共に吹き飛ばされてしまう。

 原爆の直接の被害は免れたけど、実家の両親は死に、妹も体調が悪そうで……。

 一番心に刺さったのは、ラスト近くで視点がすずさんから離れて、ガラスが身体中に刺さったまま原爆投下後の広島の街を徘徊う母子の姿の場面。

 母はすずさんと同じように右手がない。疲れ切って座り込んだまま、母は死んでしまった。ウジが湧くその死骸に縋り付いたままの小さな女の子。

 広島を訪れていたすずさん夫婦が落とした海苔巻を拾う、その子。落としたよと差し出すと、「食べてええよ」と言われて食べると、まるで捨てられた子猫のようにすずさんに身をすり寄せる、その子。

 この場面は、抑えたタッチで描かれるからこそ、悲しい。悲しくて仕方がない。

 号泣はしない。

 しかし、じわじわきて、止めどなく涙が湧いてきて、客席から立てなくて、困った。

 とにかく、じわじわと万感胸に迫って、堪らない。

 しみじみと泣く、というのでもない。なんだろうね、この感情は。

 素朴に感じたのは、「生きていることの幸せ」「生かされている事への感謝」という気持ち。それを思うと、一切のワガママとかこだわりとか、モロモロなものが消えていく。浄化されたような、まあ、魂の浄化って、そんなに簡単なものではないと判っているけど、ほんの少しだけ、そんな気持ちになれた。

 プログラムを開くと、「生きるっていうことだけで涙がぽろぽろ溢れてくる、素敵な作品です」とすずの声を担当したのん(能年玲奈)の言葉が載っていた。

 彼女あってこそ、すずさんには命が吹き込まれて、「のんびりほんわかしているけど、あんまりひどいことになったら我慢しない」という生きた人間になった。そして、こういう人が戦争に巻き込まれてひどい目に遭う不条理を、心の底から憎みたくなる。

 プログラムによると、のんは、実に的確に役を把握していたそうだ。これは天性のものだろう。

 

 思えば……今、シリアでは、この映画で描かれたことと同じ状況で、シリアのすずさんが毎日犠牲になっている。それを思うと……。

 この作品は、過去の、昭和8年から21年の「過去」を描いたものではない。今も同じ事が世界のどこかで起きている……。

 タイムマシンを使って当時の写真を撮ってきたかのような綿密な再現をした、徹底した取材をした片渕監督とスタッフには、執念を感じる。この作品はきちんと作らなければならないと思ったからには徹底する。

 凄いことだと思う。

 小説と違って映画やアニメは、すべてに対して具体的な描写が必要になる。家も道路も衣服も食べ物も……。そのすべてをコツコツと調べ上げた努力と根性に敬服するし、その綿密な調査取材から生まれた描写が、物語を推進している。リアルな描写が物語を生み、深い意味を感じさせる。

 

 丁寧に描いているだけかと思えば、シネカリグラフのような技法も使ってすずさんの状況の激変を端的に表したり、多彩な表現を使いきっている。

 粘りに粘った甲斐のある、しかし監督の執念を画面には一切見せない、優しさと愛情溢れるタッチ。だからこそ、この作品は、しみじみとした感動を呼び、心に残り、思い出すと涙が溢れてくるのだ。

 声高にテーマを叫ぶより、こんな形で静かで優しいタッチでしみじみと語られる方が、効く。観客は、すずさんと一緒に戦前の平和な昭和を生き、戦争の影が徐々に濃くなる不安を覚え、空襲の恐怖を共有し、原爆に衝撃を受け、戦災孤児を保護する。

 この作品だからこそ、「一緒に生きて体験できた」という気がする。これはバーチャル以上のバーチャルではないか。魂がスクリーンの向こうに飛んでいったのだから。

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